辞書の話③~伝説の辞書「熟語本位英和中辞典」を読む

読書

 辞書は引くものでなく、読むものだと考えてる人はたくさんいるんだなと気づき、シリーズ3回目も辞書好きな方特集です。

その方とは、柳瀬尚紀さん。

 柳瀬さんは、英文学者であり翻訳家、随筆家ですが、語呂合わせなどの独特な言い回しを使っての翻訳が特徴的です。あのジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」や「ユリシーズ」の翻訳は秀逸です。言葉に対する貪欲さから、柳瀬さんも辞書に関する本をたくさん記しています。今回はこちらの「辞書はジョイスフル」を見てみましょう。

「辞書はジョイスフル」(1994/TBSブリタニカ)

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おそらく人五倍は辞書を引く。そして人二倍は辞書が好きだと思う。だから、要するに辞書は面白いのだということを伝えられるだけの資格をあるはずだ。

と、まえがきにある通り。柳瀬さんは自らの仕事を起点に「フィネガンズ・ウェイク」の翻訳の話から始まり、英和辞典、国語辞典、漢和辞典に至るまで、様々な側面から辞書の面白さを、独特の文体をあちこちに登場させながら伝えています。

 第三章・血の通った訳語をもとめて、にある「『熟語本位英和中辭典』を推す」の頁を覗いてみます。

辞書は引くだけでなく読むものだ。高校時代、ふとんのなかにもトイレにも持ち込んで読んだ辞書がある。齋藤秀三郎著、熟語本位英和中辭典。筆者にとって、これは英語の恩師だ。英語はもっぱらこの辞書から学んだ。

 とあるように、「熟語本位」と略されるこの辞書は夏目漱石の時代に誕生した古いものであるにも関わらず、今読んでも面白い辞書で、最近復刻版が出版されています。私はこの辞書の存在を柳瀬さんの著作から知り、古本屋をめぐりに巡って、二冊手に入れたほどです。

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 柳瀬さんは「『熟語本位英和中辭典』を推す」の中で、英文読解の入門書のようではないが、と断りを入れた上で、「熟語本位」の魅力をとことん解説しています。

英文が読めるようになるには、前置詞をものにしなければならない。そして熟語本位英和中辭典を熟読すると、そのことがじわりじわりとわかるのだ。この辞書の前置詞をつぎつぎと読むだけで、英語の読解力は確実につく。どの前置詞から読み始めてもいいが、たとえばwithの項。十一頁にわたってwithの説明と用例が並ぶ。

しかし英和辞典の説明と用例を読んでいくうちに、withはなかなか面白いやつだという感じがしてきた[口論〕もするし、[喧嘩〕もする。ふつうの[交際〕もするが、[いたずら〕もやらかし、[傷害〕までやらかす。やつといったのは、前置詞withがなにか血の通った生身のものに感じられてきたということだ。それはつまり齋藤秀三郎の説明やや用例が、血の通った生身のものであるにほかならない。

 という解説を読むと俄然、辞書を読むのが楽しくなってきます。試しに、手元にある「熟語本位」のwithの項を読んでいくと、例文と訳の生活感がありありとわかります。<He is smitten with her charms.>という例文に対しては⇒「彼女の色香に迷って居る」と訳すあたり、もちろん文語的表現ではあり、現代でそのまま日常的に使うことはないものの、たしかに血の通った訳語であると感心します。

 さらにこの100年以上前に編纂された辞書の校閲と「伝説の辞書」の魅力を記した本がありました。

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 「斎藤さんの英和中辞典~響きあう日本語と英語江尾求めて」。著者は、1915年のオリジナルの「熟語本位」と1960年の森田実さんによる新増補版の全1714ページを隈なく読んで、難解な個所や自身でもわからない箇所に詳しい「注」をつけた『熟語本位英和中辞典』の校注本(2016)を出した八木克正さん。「熟語本位」の辞書の成り立ちや齋藤秀三郎の辞書作りについて、さらに今に生きる記述、受験英語の原点といった視点で、本は構成されたいます。手元に、「熟語本位」を傍らにおいて読み進めると、確かに英語と日本語の変換というだけでは到底収まり切れない「血の通った生身の訳語」にたくさん出くわします。まさに、辞書を読む楽しさに溺れているのでした。

 2016年に出された校注本「熟語本位英和中辞典」は簡単に手に入ります。是非一度、パラパラとページをめくって「読んで」みてはいかがでしょうか。

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